昭和28年3月20日

主要項目目次
  1. 路線認定
    1. 告示第113号

この日の告示について

旧道路法下の道路の経過規定

現行道路法(昭和27年法律第180号)が昭和27年6月10日に公布され、同年12月5日に施行されました。このとき、道路法施行法(昭和27年法律第181号、6月10日公布、12月5日施行)の規定により、旧道路法下の路線の現行道路法下での扱い(経過規定)は以下のように定められました(本ページではわかりやすさを優先し、法律の条文とは一部表現を変えています)。

このうち、現行道路法の規定による一級国道は法施行前日の1952(昭和27)年12月4日に政令477号により指定されました。一方で二級国道の指定は法施行日に間に合わなかったため、旧道路法下の国道の区間のうち、一級国道に引き継がれなかった区間の一部は、一級国道・二級国道・都道府県道・市町村道のいずれにも該当しない、「供用を廃止された道路」となってしまったのです。その後、翌1953(昭和28)年5月18日に政令第96号により二級国道が指定され、従前の管理者による管理が終了する「タイムリミット」を過ぎてしまうことは回避されました。

とはいえ、道路の供用が廃止された状況では管理上の不都合が生じます。また、国道の認定要件も変更されているため、従来国道であった路線が現行道路法でも国道に指定される保証もありませんでした(特に、軍事目的の国道は大半が存在意義を失いました)。そのため、各都道府県ではこのような区間を「救済」するために、新たに都道府県道路線を認定することとなります。

このような都道府県道路線の認定が何例存在したかは調査しきれていませんが、少なくとも北海道、新潟県、長野県、岐阜県、愛知県、滋賀県、鳥取県、岡山県が該当することが判明しています。北海道の例は『道道資料北海道』も参考になります。

岐阜県内を通過していた国道路線とその引継先路線

さて、旧道路法下において、岐阜県内を通過する国道路線は5本ありました。これらの路線と現行道路法下における引継先路線の対応を以下の表に記します(地名は現行道路法施行日時点のものを可能な限り再現しました)。このうち14号と35号は岐阜県内の全区間で8号および12号に重複していました。

番号路線名実延長区間区間ごとの引継先路線
8東京都ヨリ京都府庁所在地ニ達スル路線(甲)東京都中央区日本橋通1丁目から
滋賀県栗太郡草津町まで
東京都中央区日本橋通1丁目から
山梨県北都留郡大月町大月まで
→一級国道20号線の一部
山梨県北都留郡大月町大月から
山梨県富士吉田市上吉田まで
→重複していた山梨県道大月停車場富士線へ
山梨県富士吉田市上吉田から
山梨県東八代郡石和町市部まで
→重複していた山梨県道甲府吉田線へ
山梨県東八代郡石和町市部から
長野県東筑摩郡塩尻町大門まで
→一級国道20号線の一部
長野県東筑摩郡塩尻町大門から
岐阜県土岐郡明世村山野内まで
→一級国道19号線の一部
岐阜県土岐郡明世村山野内から
滋賀県坂田郡息長村岩脇まで
→一級国道21号線の一部
滋賀県坂田郡息長村岩脇から
滋賀県栗太郡草津町まで
→一級国道8号線の一部
12東京都ヨリ石川県庁所在地ニ達スル路線(乙)愛知県名古屋市熱田区市場町から
岐阜県稲葉郡厚見村城東通まで、
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原から
石川県金沢市下堤町まで
愛知県名古屋市熱田区市場町から
岐阜県稲葉郡厚見村城東通まで
→一級国道22号線
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原から
滋賀県伊香郡木之本町木之本まで
→後に岐阜県道関ケ原木之本線および滋賀県道木之本関原線へ
滋賀県伊香郡木之本町木之本から
石川県金沢市下堤町まで
→一級国道8号の一部
13東京都ヨリ岐阜県庁所在地ニ達スル路線岐阜県稲葉郡厚見村城東通から
岐阜県岐阜市司町まで
岐阜県稲葉郡厚見村城東通から
岐阜県岐阜市安良田町まで
→重複していた岐阜県道岐阜津線などへ
岐阜県岐阜市安良田町から
岐阜県岐阜市司町まで
→重複していた岐阜県道岐阜犬山線などへ
14東京都ヨリ京都府庁所在地ニ達スル路線(乙)長野県北佐久郡軽井沢町追分から
長野県諏訪郡下諏訪町まで
長野県北佐久郡軽井沢町追分から
長野県諏訪郡下諏訪町まで
→後に長野県道軽井沢下諏訪線へ
35東京都ヨリ舞鶴鎮守府所在地(京都府加佐郡中舞鶴町)ニ達スル路線(乙)福井県敦賀市から
京都府舞鶴市余部下まで
福井県敦賀市から
京都府舞鶴市余部下まで
→一級国道27号線

上記の表で無色の区間は一級国道に指定された区間です。水色に着色した区間は、重複する府県道路線が存在し、経過規定により都道府県道路線へ引き継がれた区間です。薄赤色に着色した区間は、重複する府県道路線がなく「供用を廃止された道路」となってしまったため、後に新たな都道府県道路線が認定された区間です。このうち岐阜県に関連するのは国道十二号から「降格」した不破郡関ケ原町関ケ原~不破郡玉村(滋賀県界)の区間と、国道十三号から「降格」した稲葉郡厚見村城東通~岐阜市司町(県庁前)の区間です。

後者は重複する府県道が存在していたため、新たに現行道路法の規定による県道が認定されることはありませんでした。一方で前者は他の府県道との重複がなかったため、新たに県道関ケ原木之本線を認定することとなりました。

県道関ケ原木之本線とその後

路線名に「木之本」とある通り、県道関ケ原木之本線は滋賀県伊香郡木之本町へ至ることを想定した路線でしたが、滋賀県側では「県道木之本関原線」(※「関原」は1928(昭和3)年に関ケ原町が町制施行する前の村名)として認定されており、現代の越境路線のように路線名や起終点を一致させることは行われませんでした。

県道関ケ原木之本線および県道木之本関原線のルートは、おおむね現在の一般国道365号の滋賀県長浜市木之本町木之本~岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原のルートに近いものでした。道路改良に伴うルート変更箇所を除くと、現在の長浜市野村町~同市東上坂町のみルートに違いがあります(現在の国道が直接東上坂町へ渡るところ、木之本関原線は佐野町、今荘町を経由していた)。

その後昭和29年1月20日建設省告示第16号により主要地方道の指定が行われ、岐阜県ではこれを受けて昭和30年6月14日に県道長浜関ケ原線が認定されました。岐阜県側の県道関ケ原木之本線はこのときに実延長区間を完全に失いましたが、路線としての廃止は昭和35年2月5日まで先延ばしとなりました。一方、滋賀県側の県道木之本関原線は、昭和29年9月6日に県道長浜関ケ原線を認定した後も伊香郡木之本町~坂田郡大原村(後に合併で山東町)間田が実延長区間として存続し、一般県道の再編が行われた昭和33年7月26日に廃止されました。

このようにして、かつて国道路線であった関ケ原~木之本間は、関ケ原~山東が主要地方道に、山東~木之本は一般県道にまで降格することとなりました。その後、1964(昭和39)年12月28日には長浜市東上坂町~東浅井郡浅井町佐野~同町野村を除いて(建設省告示第3620号により)主要地方道木之本浅井関ケ原線に指定され、1975(昭和50)年4月1日には(前年11月12日の政令第364号により)一般国道365号に指定され、国道に返り咲きました。


整理番号について

この日に認定された関ケ原木之本線の整理番号は旧道路法時代からの整理番号体制をそのまま引き継いでおり、402が割り振られています。昭和35年2月5日にこの番号体制の路線の全てが廃止または番号改正されるまで、この番号体制が続きました。旧道路法時代から続くこの番号体制を、当サイトでは「第0期」として解説します。


告示の条文

以下にそれぞれの告示の全文および表を掲載します。原文は縦書きです。整理番号は漢数字です。

岐阜県告示第百十三号

道路法(昭和二十七年法律第百八十号)第七条の規定に基き、県道の路線を次のように認定する。

その関係図面は、岐阜県土木部道路課において一般の縦覧に供する。

昭和二十八年三月二十日

岐阜県知事武藤嘉門

県道路線認定

整理番号路線名起点重要な経過地
終点
四〇二関ケ原木之本線不破郡関ケ原町
不破郡玉村
滋賀県界

(筆者注)

  • 「重要な経過地」は空欄です。後年の告示のように、備考欄で他県における起終点と重要な経過地を記す形式は採用されていません(これを定めた建設省道路局長通達は1954(昭和29)年発令)。