道道1116号 区間3
目次
上川郡東川町ノカナン(チョボチナイゲート)~上川郡東川町北7線(東川北7線ゲート)
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町道忠別ダム天人峡旭岳線から分岐してチョボチナイゲートを通過する。ここから先の区間は2012年7月25日に開通した区間だが、2012年度の冬期閉鎖明けに路面変状が見つかり、対策工事を終えて再び開通したのは2017年の9月であった。
2018年度も冬期閉鎖明けと同時には開通せず、このゲートが開いたのは走行日の11日前、9月13日であった。その後の2019・2020年度もゲート開放は9月に入ってからとなっている。
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道路情報表示板には「開通」の2文字が目立つように書かれていた。開通期間として「地滑りの恐れ」による通行止が解除された9月13日と、冬期閉鎖の開始予定日である10月11日が書かれており、実際に2018年はこの4週間だけ通行できた。
ゲート名の「チョボチナイ」はこれから遡っていく沢の名前で、特徴的な名前に加え「開かずのゲート」であったこともあり印象深い。
※マウスオーバー/赤枠内タップでゲート名標識を表示します。
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ゲートを通過すると早速急な上り坂が待ち受けている。チョボチナイゲートの標高は約430mだが、この先の分水嶺は低いところでも標高650m弱で、最大11%の上り勾配で一気に駆け上がっていく。
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この付近の路面上に「14.1」というペイントを見かけたが、宇莫別からの道のりは16.5km程であり、起点からの距離にしては数字が合わないように思える。
r213との重用延長が約2.3kmなので、それを差し引くと14.1に近いが、真偽は不明である。
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カーブを繰り返しながらどんどん標高を上げていく。早くも標高500mを超えたが、まだ序盤が終わったにすぎない。
ちなみにこの区間の車道幅員は4.0mで設計されている。普通車同士なら減速すれば離合可能だがカーブが絡むとやや厳しい。待避所とカーブミラーが十分に整備されているのはありがたいところ。
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相変わらずの急勾配で、上り勾配11%の標識も複数回見かける。この辺りは谷の地形を利用してヘアピンカーブにより高度を稼いでいる。
なお、チョボチナイ沢を遡るこの区間を2020年に自動車で再走したのだが、レポート時の2018年よりも段差が増えていた。この道道が抱える慢性的な路面変状という問題を嫌でも感じてしまった。
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カーブの途中には南を向く場所もあるが、木々に阻まれダム湖を見ることは難しい。
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チョボチナイゲートより先の区間で特徴的なものが、「地すべり観測中」と書かれた立て看板である。2013年度に路面変状が確認されて以来、しばらくの間「地すべりの恐れ」で通行止が続いていた本区間だが、再開に向けて対策工事を行っていたので、その時にこのような観測機器が設置されたものと思われる。数値に異常があればパトロールを行い、必要があれば通行止めになるのだろう。
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一気に上り下りしていた俵真布~忠別間とは違い、こちらは所々勾配が緩やかになる箇所がある。ちょっとした休憩にはなるが、頂上まではまだ100m程高度を稼がなければならないので気を抜けない。
ちなみに、2020年の走行時には集水井の整備が行われていた。地すべり対策の一環であろう。
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再び上り急勾配の標識が現れるが、数値は9%と少し緩やかになっている(急坂であることには変わりないが)。
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谷を横断するところの前後では逆に下り坂となっているところまである。
自転車で山道を走行中に不測の事態が起こり撤退を余儀なくされた場合、引き返して山を下りる方が通常は安全である。このような下り坂は引き返す際には上り坂として立ちはだかるのであまりありがたくない...
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沿線には倒木を処理したかのような場所もあった。ガードレールは破損していなかったので道路を塞ぐようなものではなかったのだろう。この路線に限らず、山間部の道道では強風時に「倒木の恐れ」で通行止になることがある。
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再び上り勾配9%。何やら路面が苔むしているようにも見える。日陰であることが一番の要因だろうが、通行止期間が長いことに加え交通量がかなり少ないことも影響しているだろう。
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標高が約645mに達したところで分水嶺を越え、下り坂(勾配10%)に転じる。この先は終点まで下り坂...と言いたいところだが、まだ道中には上り坂がいくつか待ち構えている。
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せっかく分水嶺を越えたばかりだというのに、すぐに上り坂に逆戻りとなる。勾配は8%と幾分かましで、距離もそこまで長くないのが救いか。
このように勾配が目まぐるしく変化するのは、事業再評価時のコスト縮減手法として道路の縦断線形見直しが挙げられているからである。詳細は平成20年度の再評価資料のp.20に図示されているが、現況地形により近い縦断線形で設計することにより土工量を削減できるというものだ。
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上り坂の後は元通り下り坂となり、右へ大きくカーブする。
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カーブの後、マイタケの沢を左手に見ながら一気に標高を下げていく。このマイタケの沢にはマイタケの沢橋(L=113m)が計画されていたが、事業再評価の際に立ち消えとなった。100m級の橋梁が計画されていただけあって、谷を横断していくために地図上でもはっきりと分かるほどの迂回を強いられている。
路面上には進行方向に沿って舗装の継ぎ目が見えるが、ひょっとするとこのあたりにも路面変状があったのかもしれない。
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沢を跨いで折り返すと、正面が少し開けている。地形図で見る限り林道の分岐もある場所だが、それにしても木が少ないように感じる。
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先ほどのスペースを振り返ってみる。マイタケの沢橋はここからまっすぐに沢を跨ぐ計画だったのだろう。その先は分水嶺を貫く江卸トンネル(L=1,561m)が計画されており、こういったトンネルや橋梁の建設が断念されたため急勾配急カーブの道路とならざるを得なかったのである。
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マイタケの沢の北側は標高550m程で、頂上からは100m程下ってきた計算になる。先ほどまでと比べると道路左側の木々が伐採されており十分な用地が確保されているように見える。マイタケの沢橋の建設計画が中止されるまでにここまでの用地確保が行われていたのだろうか?
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ここで勾配10%の上り坂が待ち構えている。高低差は30m近くあり、ちょっと苦しい区間となる。
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上り坂が終わればすぐに下り坂へ転じるのも今まで通り。しかし、奥の方は道路の両側で斜面が整備されている。急に立派になったように見えるが果たして...?
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ついにセンターラインが現れた!!2012年7月に開通した新規建設区間はここまでで、ここから先は事業再評価前に3種3級の道路規格で建設されていた区間となる。ようやく「難所」を突破し、一人安堵した。
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1.5車線区間を振り返って撮影。写真に写っている区間は「縦断線形見直し」の典型的な施工結果で、本来はこちらから見て一定の下り勾配だったものを、いったん上り勾配となった後より急な下り勾配で施工し、切土の量を減らしている。
幅員が変わるこの地点には林道幌倉沼線が接続しているが、車両で進入していけるかどうかはわからなかった(チェーンがかかっているので、少なくとも許可が必要だろう)。
※マウスオーバー/赤枠内タップで林道幌倉沼線を表示します。
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2車線道路となってすぐに築堤部分を通過する。これまでの区間ではこのような築堤はありえず、もっと地形に沿った線形となっていた。しかし、3種3級という道路規格は(富良野上川線の場合)勾配6%以内、曲線半径100m以内を原則としているため、地形をある程度無視した線形とならざるを得ないのだ。
なお、林道幌倉沼線分岐からは再び上り勾配となっており、築堤の終わり付近で標高600mに到達する。事業再評価の前後では頂点となる場所が異なっていたのだ。
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築堤を振り返って撮影。片側幅員3.25mの車道に加えゆったりとした路側帯も備えた道路は、大型の観光バスでも余裕で通すことができる。この道路の計画や建設に携わった多くの人々が、大雪山国立公園内の各地を周遊する観光客の自動車が行き交う光景を夢見ていただろう。
しかし、一部区間が低規格で建設され冬期は通行できないことに加え、開通区間も利便性の面では正直なところ微妙と言わざるを得ず、3連休の日曜日にも関わらずチョボチナイゲート~東川北7線ゲート間で出会った車両は8台(車7、バイク1、自転車0)だけであった。
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カーブは少なくないが、曲線半径は大きめに取られているので走りづらさを感じるほどではないだろう。この右カーブの途中で標高約618mとなり、計画ではここが上富良野~瑞穂間の最高地点となっていた。実際は1.5車線区間で約645mに達しているので、当初よりも標高の高いところを走ることとなった。
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カーブの先で嶺雲橋(れいうん-ばし、L=406m)を渡る。幌倉沼川にかかる橋で、平成8年10月の完成である。この橋に匹敵する長さの橋はほかにも忠別川にかかる東瑛橋とノカナン沢川にかかる野花南大橋が計画されていたが、いずれも建設が中止されたため、嶺雲橋が富良野上川線で最長の橋となった。
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橋の前方を反対車線側から眺める。前後の線形と橋脚の高さの関係か、谷を直線的に跨ぐのではなく途中から左にカーブしている。北海道鋼道路橋写真集(第9巻)によれば、連続曲線箱桁・連続鈑桁形式を採用しているとのこと。
事業再評価よりも前に供用が開始された区間ではあるが、「幻の道道」区間を代表する景色としてSNS上で見かけることの多い橋である。国道並みに高規格な橋と「1年に最大で1か月しか通れない」ことのギャップは確かにこの道道の象徴かもしれない。
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橋の途中から幌倉沼川の下流を眺める。橋から谷底までは最大50m弱の高低差があり、かなり立派な橋である。
天気次第ではあるが、旭川市の市街地を見渡すこともできる。逆もまた然り。
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嶺雲橋を振り返って撮影する。こちら側から見ると曲線橋であることに加え、勾配があることも分かりやすい。嶺雲橋は406mの延長の間で約20mの高低差があり、勾配は約5%と案外大きな数値になっている。
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嶺雲橋を過ぎるとしばらくの間直線区間となる。直線区間は約750mにも及び、下り勾配も4%程あるので気持ちの良い区間となっている。
しかし、北海道の道路を走り慣れた人にとっては何か「物足りなさ」を感じるかもしれない。そう、道路沿いに「あるもの」がないのである...
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直線区間を振り返る。1.5車線区間ではこのような長い直線区間は存在しえないので、なおさら名残惜しく感じた。そして、「いつか自動車でも再訪しよう」と思ったのである。
その「あるもの」とは「矢羽根」こと「固定式視線誘導柱」である。冬期の運転・除雪に役立つ設備だが、1.5車線区間にしか通じておらず冬期通行止めとなるこの区間には必要ないということなのか、一切設置されていないのだ。通年通行が実現していれば間違いなく設置されていただろう。
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直線区間を過ぎ右にカーブした後、左カーブに差し掛かりながら祥雲橋(しょううん-ばし、L=140m)を渡る。銘板及び「橋梁現況調書」によれば倉沼川支流に架かっていることになっているが、地形図では倉沼川の本流に架かっているように書かれている。完成は嶺雲橋より4年前の1992年11月である。
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左カーブは続き、ほとんど間を開けずに景雲橋(けいうん-ばし、L=174m)を渡る。こちらも銘板では倉沼川支流を渡っていることになっているが、「橋梁現況調書」では倉沼川に架かっていることになっている。完成は祥雲橋と同じ1992年11月。
なお、祥雲橋と景雲橋は嶺雲橋とは銘板の配置が異なっており、進行方向右側の旭川側に「景雲橋」あるいは「祥雲橋」の銘板が取り付けられている。このことは、景雲橋と祥雲橋が道道白川美唄線の橋梁として完成したことを示している。
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景雲橋を過ぎた後もカーブは続く。ある程度は地形に合わせているが、築堤や切通しも多く、線形は比較的緩やかである。
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他の道路と接続している場所もあるが、普通車が乗り入れていけるような状況ではない。
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ここで再び長めの直線区間が現れる。長さは500m程。
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直線区間が終わると再びカーブが連続する区間となるが、これまでよりもカーブは緩やかになる。
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標高500mを切った後、清水橋(しみず-ばし、L=120m)を渡る。倉沼第一沢川を渡る橋で、昭和63年10月の完成である。富良野上川線とその前身の白川美唄線として架設された橋梁の中では一番古い。
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清水橋を過ぎて左カーブを曲がると、最後の直線区間となる。
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最後の右カーブに差し掛かると案内標識が見えてくる。直進方向にはr611瑞穂東川線に加えr1116の表示もある。左折はr611で東川市街方面と案内されている。
直進方向の行き先はr611沿線の21世紀の森と、r611からr295を利用して向かうことができる旭川となっている。もし白川美唄線が全線開通していたとしたら、この行き先には「上川」「層雲峡温泉」などといった地名が現れていたのだろうか...
※マウスオーバー/赤枠内タップで案内標識を拡大します。
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実質的な終点
r611交点から来た方向を振り返る。ゲートの名前は東川北7線ゲートといい、長期の通行止になっていた際はこのゲートで閉鎖されていた。このレポートの目次ページにも写真を掲載しているが、ゲートの少し向こう側に道道標識が設置されている。
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ゲートに立つ標識を撮影。道路情報表示板にはチョボチナイゲートと同様に開通期間が書かれていた。ゲート名も別の標識にしっかりと書かれている。
なお、「道路現況調書」の数値を考慮すると、案内標識の表記とは違いこのr611交点が富良野上川線の終点として扱われているようだ。続きは次の「おまけ」にて。
※マウスオーバー/赤枠内タップでゲート名標識を表示します。