道道9号 本編
目次
区間 | 区間起点 | 区間終点 | 走行日 | 区間 距離 |
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本編 | 寿都郡寿都町大磯町(起点)~ | 山越郡長万部町蕨岱(実質終点) | 2017/9/16 | 23.1km |
寿都郡寿都町大磯町(起点)~山越郡長万部町蕨岱(実質終点)

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起点のそばには道の駅みなとま~れ寿都がある。2008年登録の比較的新しい道の駅で、内装外装共にきれいな印象がある。

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起点
起点から南東方向に進んでいく。起点からしばらくの間はR229の旧道であり、高台を走る国道とは違って海岸の近くを通っている。
R229が旧ルートを通っていた当時、寿都黒松内線の起点は国道上にあり、起点からしばらくの間は国道に重複する形となっていた。寿都町大磯町にはかつて寿都町道路元標が設置されていたため、起点位置として採用された可能性がある。

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起点付近こそよく整備された道路だが、市街地の端に近づくと少し狭くなる。

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市街地を抜けたところでヘキサ発見。しばらくの間海岸に沿って走行することになる。

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r9は寿都湾の奥へ進んでいく。

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やや暗いところもある。
かつて、画像6~画像8の間に建岩トンネルという延長30mの短いトンネルがあったそうだ。インターネット上の記録を確認する限りでは、2009(平成21)年~2011(平成23)年の間に開削されて消滅したようで、走行時はトンネル跡地の場所がわからなかった。2023(令和5)年現在では海側で擁壁工事が行われており、さらに様子が変わっている。

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起点から2.5km程でR229に合流する。r9は左折して重複区間に入る。

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R229重複区間はよく整備されており走りやすい。
進行方向は逆だが、この区間はR229のレポートと同じ区間なので参考までにリンクを貼っておくことにする。→R229 区間4-A

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R229重複区間はさっと流していく。朱太川を渡る実橋の手前に黒松内町のカントリーサインが設置されている。

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橋の手前には案内標識もある。字体が古めかしいのだが、もしかするとr9の路線番号の部分は単に道道であることだけを表す「道」表記だったのだろうか?それとも旧番号の19だったのか?

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黒松内町に入り、北作開の交差点で右折してR229から分岐する。これ以降r9は南に向かっていくこととなる。

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R229から分岐した後も歩道付きのよく整備された道路である。

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しばらく進むと追越禁止区間が始まる。

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追越禁止区間はカーブが続く区間のみ。なお、この辺りから朱太川の対岸も黒松内町域となる。
黒松内町の前身である三和村は寿都郡樽岸村、黒松内村、歌棄郡熱郛村の合併により成立したが、樽岸村は北部が寿都町に、南部が三和村に分割される形となった。

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森の中を走っていく区間は早くも終了。
現在走行している朱太川右岸の一帯はもともと熱郛(ねっぷ)村だった。北作開周辺も熱郛村だったが、やはり日本海には接していなかった。

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右折方向の行き先は島牧。朱太川を渡ってr523美川黒松内線に接続している。
朱太川左岸にあった樽岸村には寿都鉄道が通っていた。黒松内と寿都を結んでいたが1968(昭和43)年に休止、1972(昭和47)年には廃止となっている。r9の起点で接続していたr272寿都停車場線は、終着駅の寿都駅に通じていた。

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防雪柵が設置されている区間も多く、冬は視界不良に悩まされることも多いのかもしれない。

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熱郛川のそばでr265熱郛白井川線と交差する。r265は熱郛駅付近でR5に接続しており、ニセコ・倶知安方面に行くなら使いやすいルートとなる。また、黒松内新道方面への最短ルートでもあるので、豊浦・洞爺湖方面へ向かう場合も便利である。
※マウスオーバー/赤枠内タップで案内標識の写真を表示します。

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↑<9>
函館128km、長万部21km、黒松内市街2km
交差点を過ぎて熱郛川を渡ると、黒松内市街はもうすぐ。標識には函館までの距離が書かれているが、まだ100kmをゆうに超える距離が残っている。なお、r265の起点付近にも小樽まで120kmという案内標識がある。

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左側にJR函館本線が迫ってくる。函館本線はこの付近で大きくカーブして進路を変えている。

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第一跨線橋で函館本線を跨いでいく。名前で予想がつくだろうが、この先何度か立体交差がある。

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緑橋で朱太川を渡る。第一跨線橋と緑橋の中間あたりから合併前の黒松内村域で、これより先の朱太川流域が村域であった。
朱太川の流域はR37の静狩峠~礼文華峠付近にまで及んでおり、黒松内町は太平洋まであと300m程のところで長万部町に阻まれている。

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緑橋を渡って左にカーブすると三叉路がある。ここでは他の道道と接続していないが、右折するとすぐにr523美川黒松内線に接続する。そのため青看にはr523の行き先も書かれている。

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↑<9>
函館126km、長万部19km、国道5号6km
黒松内市街に到着したので、新たにR5までの距離が表示されるようになる。r9は黒松内駅周辺の市街地を迂回するようにして、朱太川に沿って走行する。

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しばらく進むと朱太川が離れていき、セイコーマートのある交差点でr266大成黒松内停車場線と交差する。左折方向の行き先は「洞爺湖町」となっているが、元は「虻田」だったのだろう。r266は前述の黒松内新道を利用した場合でも豊浦・洞爺湖方面への通り抜けに欠かせない路線である。

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r266との交差点を過ぎると市街地も終わり、上り坂が見えてくる。坂を上りきると町営球場などがある。

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更に進んでいくと一部舗装状況が悪かったりもするが、道幅が狭くなるようなことはないので安心。
この辺りで左折すると黒松内町ブナセンターがある。黒松内町は「ブナ北限の里」といわれており、カントリーサインにもブナが描かれている程である。

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カーブの先で第二跨線橋を渡る。

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上り勾配は緩やかで、自転車でも安心。

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↑<9>
函館122km、長万部15km
ようやく標高が100mを超えたあたりで頂上を迎える。写真には撮っていないが駐車公園もある。

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下り坂に転じると長万部町のカントリーサインが設置されている。地図上では長万部町との境界がもう少しR5寄りに描かれているので、実際よりも手前に設置されているのだろうか?

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長万部町に入ると終点はすぐそこ。交差点300m手前の案内標識の当たりが実際の境界線に近いかもしれない。

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終点のすぐ手前で第三跨線橋を渡る。その手前には23KP。

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終点
跨線橋を渡ってすぐにR5との交差点に到着。現在はT字路だが昔はY字路だったようだ。右折して長万部方面に進むと蕨岱駅があったが、2017(平成29)年に廃止された。終点が長万部町内にあることについては、長くなるので後述しよう。
終点に関する考察
現在の終点は長万部町蕨岱にあって路線認定上の黒松内町歌才ではない。1953(昭和28)年撮影の航空写真により確認可能だが、道道認定時には国道交点が函館本線の西側にあったようだ(国道は函館本線と2回平面交差している)。その交点付近を1928(昭和3)年の地形図で確認すると、黒松内村にあるように見える。
1965(昭和40)年の航空写真では国道が現在のルートに切り替わっているものの、道道は国道から分岐したのち踏切を渡っていた(この時点で交点は長万部町内に移動している)。1969(昭和44)年の航空写真では1966(昭和41)年開通の第三跨線橋が反映されており、現在とほぼ同じルートになっている。
これらのことから考えると、
- 当初の交点は黒松内村内にあった。後に境界変更があり、現在では長万部町内となっている(交点の変更時期と境界変更の時期の前後は今のところ不明)
- 1953(昭和28)~1965(昭和40)年の間に国道のルートが切り替わったことで交点が現在の位置に移動しており、この時点では交点が確実に長万部町内に移動していると言える
という結論に至った。なお、国道交点が正式な終点ではないと考えるなら交差点を左折して黒松内町歌才までR5と重複しなければならないのだが、交差点から数十mで境界線に到達するので実際には誤差のようなものである。書類上どのように処理されているか大変興味深いのだが、残念ながらそれを知るための資料は持ち合わせていない。
感想
本路線はR229の岩内~寿都間を撮影した後の帰り道に走行した。断崖絶壁をトンネルで乗り越えていくR229と比較すると、良くも悪くも平凡なこの路線はかなり大人しく感じたが、それほど長くない道のりの中にも十分に変化がみられて、退屈することなく走破することができた。
起点のある寿都町は地図で見るとかなり独特の形をしているが、その独特なくびれの成因となっているのが黒松内町なのだ。黒松内町は海に接しない内陸の町でありながら、日本海と太平洋のどちらにも500m以内のところまで接近する興味深い町域を持っている。日本海と太平洋の両方に接する町は2005(平成17)年10月に二海郡八雲町(太平洋側の山越郡八雲町と日本海側の爾志郡熊石町が合併)が誕生するまで存在しなかった。
本路線は景色や道路構造物などといった面では特筆すべきものがあまりないのだが、地図で見た時の興味深さがある路線だと筆者は思っている。一見中途半端な場所にある起点、単独区間の大半がある黒松内町の興味深い町域、そして路線名とは一致していない終点...。このように、地図で見た時に「なぜ?」と思う事項が多い路線は地図好きとしての好奇心を掻き立てられるもので、路線への興味も増していくのである。そして、「なぜ?」に対して自分なりに納得できる答えが見つかった時が幸せなのだ。