宗谷本線の停車場線 第4部

目次

識別子整理
番号
路線名走行日延長
第1部
[A]329新旭川停車場線2017/9/72.0km
[B]641北旭川停車場線2023/9/162.2km
[C]761北旭川停車場永山線2023/9/165.8km
[D]331永山停車場線2023/9/160.26km
第2部
[E]390比布停車場線2017/9/71.2km
[F]297士別停車場線2016/9/40.37km
[G]328風連停車場線2023/7/220.08km
[H]540名寄停車場線2016/8/131.0km
第3部
[I]292智恵文停車場線2023/7/222.3km
[J]445紋穂内停車場線2016/8/131.1km
[K]391音威子府停車場線2016/8/140.13km
[L]438天塩中川停車場線2017/8/191.5km
第4部
[M]395問寒別停車場下国府線2023/7/223.9km
[N]302雄信内停車場線2017/8/191.6km
[O]397豊富停車場線2017/8/190.29km
[P]1118兜沼停車場線2017/8/193.8km

※レポート対象路線および識別子は筆者が勝手に定めたもの。


[M] r395問寒別停車場下国府線

路線概要

宗谷総合振興局管内に入って最初の駅である問寒別駅を起点とし、国道40号交点を終点とする路線である。この路線も途中で天塩川を渡るため総延長は4kmに迫っており、かなり長めの停車場線である。幌延・天塩の2町に跨るだけではなく、宗谷総合振興局と留萌振興局に跨っているという点も興味深い。

種別一般道道
路線番号395
路線名問寒別停車場下国府線
起点問寒別停車場(天塩郡幌延町問寒別)
終点国道40号交点(天塩郡天塩町下コクネップ)
通過市町村天塩郡幌延町→天塩郡天塩町
認定日1961年3月31日
総延長3.888km
実延長3.873km
重用延長0.015km

※総延長等のデータはいずれも2023/4/1現在の道路現況調書による。

レポート

※走行方向は終点→起点(逆行)

画像M1

M1'

r438天塩中川停車場線終点からR40を稚内方面へ10kmあまり走行すると、コクネップ川を渡って天塩町に入る。その直後に案内標識のある十字路があり、ここを右折してr395へ進入する。

天塩町は留萌振興局に属する町であり、R40にとっては初めて上川総合振興局以外の市町村を通ることになる。一方の宗谷本線は天塩町内を通っておらず、留萌振興局管内を通っていない(2010(平成22)年に幌延町が宗谷総合振興局へ移管するまでは、留萌支庁管内を通っていた)。

画像M2

M2

終点

道道にに入ると、さっそく道道標識が設置されている。「夜間の除雪はしていません。」の標識はr292智恵文停車場線r445紋穂内停車場線にもあったが、r395ではこれに加えて防雪柵、電子式の道路情報表示装置、そして開閉式のゲートが設置されている。

なお、この道道標識の補助標識では路線名が誤記されている(「路線概要」欄上の画像をご参照いただきたい)。

画像M3

M3

終点から400m程進むと右カーブに差し掛かり、カーブを曲がりながら新国根府橋(L=80m)でコクネップ川を渡る。1969(昭和44)年の竣功であり、R40にある国根府橋(1970(昭和45)年竣功)よりも古いが、初めて橋が架けられたのはこちらの方が後である。

コクネップ川は中川町と天塩町の境界となっているが、天塩川に合流する直前のみは境界線から外れている。これは、天塩川の流路改良に伴ってより下流で合流する新水路を建設したためである。新国根府橋はこの新水路と共に建設された。

画像M4

M4

警戒標識で予告されていた通り、右カーブの後は短い直線を挟んで左カーブとなる。左カーブの外側には下国根府町内会館があるのだが、現役の建物なのかどうかは不明である。

そもそも、終点からしばらくの間は沿線に現役と思しき建物が見当たらないのである。天塩川の流路改良以前の航空写真でも建物はほとんど見当たらないため、元から住宅が少なかったのだろう。

画像M5

M5

新問寒別大橋(L=232m)で天塩川を渡る。こちらも「新」が付きながら1974(昭和49)年の竣功と古い橋だが、これは後述の問寒別橋よりも後に、そして新水路に架けられたことによる命名だろう。走行当時は塗装補修の工事中であった。

1975(昭和50)年撮影の航空写真では、掘削中の新水路、完成済の橋梁、迂回用の仮道が確認できる。なお、この橋の名称は「新問寒別大橋」(橋梁現況調書、北海道発注の工事名称)「新問寒大橋」(現地の標識・銘板)「新問寒別橋」(地理院地図、水位観測所の名称)と3通りの表記揺れがある。いったいどれを信用すればよいのだろうか...

画像M6

M6

天塩川を渡っても地名は天塩町下コクネップのままである。天塩町と幌延町の境界は天塩川に沿って引かれているが、このあたりでは旧河道を基準に引かれているため、新水路を渡っても天塩町内のままなのである。

路線名から判断すると、r395の終点は「下国府」にあるように思える。しかし、現在の天塩町内に「下国府」という地名は存在しない。道道の認定時期に近い『北海道市町村行政区画便覧 昭和33年4月現在』(国立国会図書館デジタルコレクションにて登録利用者のみ閲覧可能)においても、「下コクネップ」が記載されている一方で、「下国府」は記載がない。

画像M7

M7

幅員減少の警戒標識を過ぎるとわずかに車道幅員が狭くなる(おそらく6.0→5.5m)。写真の奥の方で左カーブがある。

1990年代中盤までは、現在よりも手前で左にカーブし、旧河道に対してほぼ直角に架かった問寒別橋(L=204m、1960(昭和35)年完成)で対岸に渡っていたようである。現ルートへの切り替え時期は、航空写真より1994(平成6)~1999(平成11)年の間であることがわかっている。

画像M8

M8

左カーブを過ぎると築堤区間となり、両側にガードロープが現れる。築堤区間の途中で天塩川の旧河道を渡り、幌延町に入る。カントリーサインや案内標識の類はなく、予習なしではどこが境界かわからないだろう。

画像M9

M9

境界線近くから上流側を眺める。旧河道は現在でも100mに迫る流路幅があり、決して小規模ではない。築堤の下流側にアイカップ川が注いでいるため、新水路に合流する樋門があり、築堤部分にもおそらく暗渠がある。

起点→終点方向の路側帯には、「BP3395」というペイントが見られる。r445紋穂内停車場線にも同様のペイントがあったが、こちらは「r395の天塩町内区間の起点」と解釈すべきだろうか。

※マウスオーバー/赤枠内タップで「BP3395」の写真を表示します。

画像M10

M10

築堤区間が終わると緩やかな右カーブが始まり、途中で平成橋を渡る。その名の通り1993(平成5)年の竣功で、築堤区間を含む現ルートと同時に整備されたようだ。橋の後で左から合流してくる町道は道道の旧道である。

2010(平成22)年に幌延町が宗谷総合振興局へ移管したことで、幌延町は稚内建設管理部(事業課)が、天塩町は留萌建設管理部(遠別出張所)がそれぞれ道路維持を担当することとなった。そのため、r395は道内でも数少ない「2つ以上の建設管理部が所管する道道」の一つとなった。

画像M11

M11

町道との交差点を過ぎると左側に歩道が現れ、最高速度も40キロ制限となる。建物も見えるようになり、ようやく無人地帯の終わりに辿り着いたことを実感する。

画像M12

M12

平成橋から400m程で、宗谷本線と交差する。踏切の名称は問寒別停車場下国府踏切となっており、道道の路線名から採ったとするならば「線」が足りないように思える。

走行当時、踏切を渡った後に警報機が鳴り出したのでカメラを構えて待っていると、下り列車の特急宗谷が通過していった。なお、この日はスマートフォンのカメラで写真を撮影していたため、タイミングを完全に外してしまい、写真はボツとなった...

※マウスオーバー/赤枠内タップで踏切名称の写真を表示します。

画像M13

M13

踏切を渡ると案内標識のある丁字路があり、r395は一時停止の後右折して問寒別駅へ向かう。ここにも画像M2と同様の道道標識が設置されているが、こちらも補助標識の路線名に誤記がある。

交差点の奥に見えている建物は問寒別小中学校である。児童・生徒合わせて十数人の小規模な学校だが、町の中心部にある幌延小学校・幌延中学校とは統合されずに2024年現在でも存続している。中心部までは20km以上離れており、道路では山越えをしない限り天塩町内を経由する必要がある立地条件である。

画像M14

M14

交差点を右折すると歩道は両側に現れ、市街地の道路らしい雰囲気となる。小学校の近くということもあり、押しボタン式の信号も設置されている。

右手に見える赤い屋根の建物は問寒別郵便局である。他にも駐在所やJAの支所があり、意外に規模の大きい集落である。

画像M15

M15

丁字路から500m程で、案内標識のある十字路に至る。r395はここを右折して問寒別駅へと向かう。左折はr583上問寒問寒別停車場線で、問寒別川の上流へと向かう(r645上問寒幌延停車場線経由で幌延市街へ、r785豊富中頓別線経由で中頓別へ向かうこともできる)。

直進は町道で、突き当たりに問寒別町民会館がある。

※マウスオーバー/赤枠内タップで案内標識の写真を表示します。

画像M16

M16

起点

右折すると50m足らずで舗装が途切れ、砂利敷きの駅前広場がある。『道路現況調書』に未舗装区間が記載されていないため、舗装の境界がr395の起点と推測される。

画像M17

M17'

問寒別駅は幌延町内に6つある宗谷本線の駅の中で、最も旭川側にある駅である。駅舎は車掌車を改造したありがちなタイプのものだが、外壁が改修されきれいな見た目となっている。なお、筆者の不手際により駅舎の写真がないため、後日撮影し直す予定である。

かつては当駅から分岐する簡易軌道もあったとのこと。現在では利用者が少なく幌延町による維持管理がなされているが、現役の小中学校があるなど市街地が形成されていることから廃止を免れている。なお、2001(平成13)年まで幌延町内には10の駅があったが、そのうち4駅が2021(令和3)年までに廃止された。

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[N] r302雄信内停車場線

路線概要

雄信内(おのっぷない)駅を起点とし、国道40号交点を終点とする路線である。実延長上は幌延町内で完結する路線だが、実際にはr256豊富遠別線と重複して天塩川を渡り、天塩町雄信内(おのぶない)の国道交点に至る。

種別一般道道
路線番号302
旧番号258
路線名雄信内停車場線
起点雄信内停車場(天塩郡幌延町雄興)
終点国道40号交点(天塩郡天塩町オヌプナイ)
通過市町村天塩郡幌延町→天塩郡天塩町
認定日1957年7月25日
総延長1.622km
実延長0.340km
重用延長1.282km

※総延長等のデータはいずれも2023/4/1現在の道路現況調書による。

レポート

画像N1

N1'

問寒別駅を出ると、糠南駅を挟んで雄信内(おのっぷない)駅に着く。この駅も非常に乗降客が少ない駅だが、天塩中川~幌延間唯一の交換可能駅でもある。

かつては糠南駅と雄信内駅の間に上雄信内駅があったのだが、2001(平成13)年に廃止された。

画像N2

N2

起点

駅前広場は未舗装。道路現況調書によれば本路線に未舗装区間はないので、舗装の切れ目が起点だろう。道道はすぐに丁字路に突き当たり、ここを右折する。左折すると町道で上雄信内駅跡へ向かうことができるが、途中にある下平橋を含む区間は宗谷本線の旧線跡を転用している。

1961(昭和36)年と1962(昭和37)年に自然災害により下平陸橋が何度も落橋・一部流失したため、下平トンネルを含む新線が1965(昭和40)年に開通した。

画像N3

N3

雄信内駅前は紋穂内駅前と同様に民家がほぼ全滅している。雄信内駅が属する雄興地区の人口は2017年3月末時点で2世帯5人と非常に少なく、雄興地区に上雄信内駅跡周辺も含まれることを考えると、周囲の人口密度の低さがよく理解できるだろう。

画像N4

N4

1977年の航空写真を見ると沿線にはいくらか建物があったようだが、やはり現在ではほぼ全滅している。道路の両脇は草木が生い茂り完全に自然に還っている。

画像N5

N5

沿線に残る数少ない構造物。火の見櫓だろうか?

画像N6

N6

340mの短い実延長区間を終え、r256豊富遠別線と交差する。この交差点が実延長上の終点だが、認定時に設定された終点は国道交点であり、道路現況調書の総延長も国道交点までの距離で計上されている。したがって、ここを左折して国道へ向かうことにする。

画像N7

N7

交差点には本路線唯一の道道標識が立っている。なお、道路現況調書によれば本路線の路線名の読みは「おのぶないていしゃじょうせん」で、駅名とは読み方が異なる。

画像N8

N8

左折後すぐに雄信内(おのぶない)大橋で天塩川を渡る。昭和48年の完成で、標識に書かれている通り幅7.0m、延長504mと立派な橋である。ここより下流側には天塩大橋まで橋がないので、幌延町中心部から名寄方面へ向かう際は雄信内大橋経由が最短経路となる。

天塩川はこの橋より下流側で流路変更があったようで、その際に橋が架け替えられたようだ。架け替え前の橋は800m程下流側にあり、画像N6の交差点を直進して橋に向かっていたらしい。

画像N9

N9

橋から天塩川の上流側を眺める。長さの割に流域面積が小さく流量も多くない天塩川だが、さすがに下流まで来ると立派な大河川である。流域の人口に大差があるので比較するのは間違っているだろうが、筆者に縁のある石狩川と比べると水面がとても綺麗に感じた。

画像N10

N10

橋を渡りきると右カーブが見えてくる。橋の途中から天塩郡天塩町に入っており、r395と同じく2つの振興局及び建設管理部に跨る路線である。なお、この辺りの住所表記はオヌプナイと、カタカナ表記になっている。

画像N11

N11

重複区間なのでキロポストはr256のものだけが設置されている。大半の道道の例に漏れず、重複区間で下位路線の存在を示すものはない。

余談だが、r256豊富遠別線は起点が豊富町内にない興味深い路線である。キロポストの数値を考慮すると、キロポストの基点はr84豊富浜頓別線とr121稚内幌延線の交点で設定されていると考えられる。詳細は「道道資料北海道」の記事をご参照頂きたい。

画像N12

N12

続いて左カーブとともに国道交点の予告。架け替え前の橋から繋がる道路はこの左カーブ付近で合流していたようだ。

画像N13

N13

終点

町界から1.2kmでR40に突き当たり、終点となる。左折は中川・音威子府・名寄方面、右折は豊富・稚内方面である。r256はこの交差点を右折して国道と重複し、雄信内の集落を過ぎてから分岐して遠別へ向かう。

終点がある地区は雄信内(おのぶない)であり、駅名とは読みが異なる。駅名は「おのっぷない」、路線名・橋名・対岸の地区名は「おのぶない」、カタカナ表記は「オヌプナイ」とそれぞれ異なっている。

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[O] r397豊富停車場線

路線概要

豊富駅を起点とし、国道40号交点を終点とする路線である。大きな川を渡らない停車場線はr391音威子府停車場線以来で、停車場線としては標準的なレベルの長さとなっている。

種別一般道道
路線番号397
路線名豊富停車場線
起点豊富停車場(天塩郡豊富町豊富駅前通)
終点国道40号交点(天塩郡豊富町豊富大通9)
通過市町村天塩郡豊富町のみ
認定日1961年3月31日
総延長0.293km
実延長0.283km
重用延長0.010km

※総延長等のデータはいずれも2023/4/1現在の道路現況調書による。

レポート

画像O1

O1'

豊富駅は幌延駅の次の特急停車駅である。豊富町は1940(昭和15)年に幌延村から独立したという歴史があるが、町制施行はこちらの方が早く、現在の人口を比較しても豊富町の方が多い。

なお、豊富村は1948(昭和23)年に移管されるまで留萌支庁管内であった(幌延町も2010(平成22)年から宗谷総合振興局へ移管)。宗谷管内に天塩郡があるのはその名残である。

画像O2

O2

起点

駅前広場を出るとすぐに「ようこそTOYOTOMI」と書かれた門をくぐる。

サロベツ原野と並んで書かれている豊富温泉は皮膚病への効能があると言われており、全国各地から湯治に訪れる客が多いようだ。国民保養温泉地に指定されている温泉地の中では最北に位置することも特徴的だ。

画像O3

O3

市街地の道路としてはごく普通の2車線+両側歩道。農協があるなど中心部らしさはあるが、商店街は国道沿いに展開しているようだ。

なお、進行方向は逆だが全線にわたってr444稚咲内豊富停車場線と重複している。停車場を終点とする路線が新たに認定される際には、元の停車場線が廃止される例が多いのだが、本路線は廃止されずに残ったようだ。

画像O4

O4

終点

延長は300mに満たず、すぐに終点を迎える。直進はr84豊富浜頓別線で、日本海側とオホーツク海側を結ぶ長大路線である。交差点を横切るのはR40(R232重複)で、左折は稚内方面、右折は天塩・名寄・旭川方面である。

画像O5

O5

案内標識にはカントリーサインが描かれている。音威子府を表示せずあえて遠くの旭川を選んだのはカントリーサインを入れる際の文字数のバランスが問題か...?

画像O6

O6

なお、街路灯には管理番号3397が書かれたシールが貼られているので、道道標識こそないが道道である証拠は容易に発見できる。

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[P] r1118兜沼停車場線

路線概要

兜沼駅を起点とし、国道40号交点を終点とする路線である。宗谷本線の停車場線としては最も北に位置し、現存する駅に至る停車場線としても最北の座にある。路線認定と直接の関係はないが、大半の区間が国道の旧道である。

種別一般道道
路線番号1118
路線名兜沼停車場線
起点兜沼停車場(天塩郡豊富町兜沼)
終点国道40号交点(天塩郡豊富町開源)
通過市町村天塩郡豊富町のみ
認定日1994年4月1日
総延長3.829km
実延長3.813km
重用延長0.016km

※総延長等のデータはいずれも2023/4/1現在の道路現況調書による。

レポート

画像P1

P1'

兜沼駅は豊富駅以来の交換可能駅で、兜沼公園に近い駅でもある。駅舎は小さいながらもきれいにまとまっている。

画像P2

P2

起点

駅前広場から兜沼の市街地に向かって急な上り坂となっている。その途中には起点のキロポストが設置されているが、停車場線にキロポストが設置されているのは珍しいことである(本レポートで扱う宗谷本線の停車場線の中では唯一の例である)。

※マウスオーバー/赤枠内タップでキロポストの写真を表示します。

画像P3

P3

駅前を出てすぐにト字路があるのだが、地理院地図ではここを右折する道路も黄色に塗られていて紛らわしい。現地の様子を見る限りは直進する道路だけが道道であると思われるが...

※マウスオーバー/赤枠内タップで右側の道路の写真を表示します。

画像P4

P4

直進を続けると突き当たりとなるので、ここを右折。案内はないが間違えることはないだろう。

画像P5

P5

右折後すぐに十字路がある。ここも案内はないが右折する。左折はr510抜海兜沼停車場線で、勇知・抜海方面へ向かう。

画像P6

P6

右折後少し進むと道道標識がある。この道道標識の存在に加えて、反対側から来ると先ほどの十字路の手前に「←兜沼駅」と書かれた案内標識があることから、道道のルートは本レポートでたどっているルートで合っているだろうと考えられる。

兜沼郵便局を過ぎ市街地から出ると大きく左にカーブする。

画像P7

P7

左カーブを抜けると40キロ制限もなくなり、一気に郊外路線の様相を呈する。

本路線は1994(平成6)年にr138豊富猿払線(認定当初はr1101)が認定された際に、前身路線の一つであるr57沼川兜沼停車場線(1954(昭和29)年認定)のうち、主要地方道に昇格しなかった区間を引き継いで認定された。宗谷本線の停車場線の中で最も整理番号が大きいのはそのことが理由である。

画像P8

P8

1KPが設置されている。路線名を知らなければこの路線が停車場線だとは思わないだろう。

前述の通り前身は古い道道であったのだが、1960年代までこの区間は国道でもあった。豊富町芦川~稚内市抜海村上勇知は現在のr1118・r510・r616のルートで兜沼を経由しており、現在のルートは後から開通した。

画像P9

P9

左カーブの途中には縦看が設置されている。ここを右折して踏切を渡り、さらに右折すると兜沼公園へ向かうことができる。

画像P10

P10

地図で見ただけでは平坦な路線に見えるかもしれないが、意外にアップダウンとカーブを繰り返す路線となっている。これでも国道時代と比べれば改良工事によりカーブがかなり減っているようだ。

画像P11

P11

坂を下りきると佐呂別橋でサロベツ川を渡る。1967(昭和42)年の完成で、ちょうどこの頃に改良工事が行われていたらしい。

画像P12

P12

佐呂別橋の後もカーブを繰り返すが、これはサロベツ川の旧河道が原因。この付近も昔よりはカーブが緩やかになっているようだ。

画像P13

P13

赤い欄干の芦川橋を渡ると終点はすぐそこ。

画像P14

P14

終点

兜沼駅から3.8kmでR40に突き当たり終点となる。案内標識には「稚内市」「豊富町」と書かれており、通常とは地名表記が異なっている。

なお、豊富町の東部や幌延町以南へ向かうなら、左折して一旦北上し、E5豊富バイパスの4豊富北ICを利用した方が便利。