国道229号 区間2-A

目次

区間区間起点区間終点走行日区間
距離
区間1-A余市郡余市町黒川町4(R5交点、実延長上の起点)~積丹郡積丹町美国町(r568交点)2016/5/2223.1km
区間1-B積丹郡積丹町美国町~積丹郡積丹町神岬町(神威岬入口)2016/5/2224.1km
区間2-A積丹郡積丹町神岬町~古宇郡神恵内村神恵内村(r998交点)2016/5/2225.4km
区間2-B古宇郡神恵内村神恵内村~岩内郡岩内町大浜(R276交点)2016/5/2223.2km
区間3-A岩内郡岩内町大浜~磯谷郡蘭越町港町(r267交点)2017/7/29
2017/9/16
18.6km
区間3-B磯谷郡蘭越町港町~寿都郡黒松内町北作開(r9南側交点)2017/9/1615.9km
区間4-A寿都郡黒松内町北作開~島牧郡島牧村泊(役場前)2017/9/16
2017/7/15
32.0km
区間4-B島牧郡島牧村泊~茂津多岬(島牧村・せたな町境界)2017/7/1523.8km
区間4-C茂津多岬~久遠郡せたな町北檜山区北檜山(R230交点)2017/7/15
2017/7/16
25.6km
区間5-A久遠郡せたな町北檜山区北檜山~久遠郡せたな町大成区宮野(r740南側交点)2017/7/1625.0km
区間5-B久遠郡せたな町大成区宮野~二海郡八雲町熊石鮎川町(R277交点)2017/7/1619.9km
区間5-C二海郡八雲町熊石鮎川町~檜山郡江差町柳崎町(R227交点、終点)2017/7/1628.2km
おまけ檜山郡江差町柳崎町~檜山郡江差町中歌町
(R227・R228終点)
2017/7/166.5km

※区間は筆者が勝手に定めたもの。各区間の距離は地図上で計測しているため、その合計が総延長及び実延長のいずれかに一致するとは限らない。

積丹郡積丹町神岬町(神威岬入口)~古宇郡神恵内村神恵内村(r998交点)

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トンネルカウンター: 13

神威岬を後にして、ここからは余市~岩内間の後半戦となる。早速、神威岬トンネル(L=703.5m)を通る。坑口付近の土被りがかなり浅い特徴的なトンネルである。

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トンネルカウンター: 14

続いて、神岬(こうざき)トンネル(L=1,162.5m)。神威岬トンネルとは1文字違いである。

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これまでのトンネルでも一部見られたが、2000年代に供用開始された新トンネルは危険な海岸沿いを避けるために内陸側に迂回する線形となっていることが多い。豊浜トンネルのような特殊な事情がなくてもカーブを伴っているのはそのためである。

なおこの神岬トンネル、意外に上り勾配があるように感じた。実際に縦断勾配は1.1%あるらしく、吹き下ろしてくる風のせいで余計にきつく感じたのかもしれない。

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神岬トンネルを抜けると、トンネル内で稼いだ高度をすべて手放すこととなる。

自転車だとどうしても勾配に敏感になってしまう。特にこの日は神威岬の遊歩道で余計に膝の耐久力を消費してしまっているので、それ以降の走行はかなりつらいものがある。

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沼前地区に入る。住所表記の上では神岬町の一地区ということになっているようだ。この沼前地区が積丹町の最果てであり、いよいよR229積丹半島区間のクライマックスを迎える。

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このあたりの地形は結構険しい。断崖絶壁が海岸沿いまで迫っていないだけまだ救いがあるが、道路を建設するのは非常に困難だったようだ。

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いよいよ積丹町内の区間も終わりが見えてきた。写真は撮り忘れてしまったが、このあたりに沼前駐車場がある。神威岬と神威岩を遠くに見ることができるようだ。

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少し進んでから神威岬方面を振り返って撮影。この日は天気が良かったので神威岩までしっかり見通すことができた。そしてここに積丹町のカントリーサインがあるということは、この先に町境がある。

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トンネルカウンター: 15

ここから先は、1996(平成8)年にようやく開通した区間である。それまで道路は未開通で、R229も1982(昭和57)年に半島周りのルートに切り替えられてからはここに未開通区間を抱えていた。

まず最初に通るのは積丹(しゃこたん)トンネル(L=765m)。積丹町内では(町境にある厚苫・積丹を含め)実に8本ものトンネルを通ってきたことになる。

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トンネル内で神恵内(かもえない)村に入る。内照式の看板で分かりやすく示されているのが特徴的だ。なお、反対側にはもちろん積丹町の表示がある。

※マウスオーバー/赤枠内タップで反対側の標識の写真を表示します。

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積丹トンネルを振り返って撮影。やはりトンネル以外ではどうしようもない地形である。

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トンネルを出たところに神恵内村のカントリーサインがある。神恵内村にはどらごん太というキャラクターがいるので、それがモチーフなのかもしれない。

神恵内村は2024(令和6)年6月末現在で人口741人と非常に小さな村である。過疎が深刻な北海道でも、神恵内村のほかに人口1000人未満となっていたのは、走行当時では中川郡音威子府村しかなかった。
(2024/7/28追記)
2024年6月末現在では、紋別郡西興部村も人口1000人未満となっている。

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大天狗覆道を通る。かつては余市~古平間に覆道が多数あったが、内陸寄りを通る新トンネルが相次いで開通して海岸沿いの断崖絶壁と縁がなくなったため、実はここまで来てようやくの初対面となる。

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トンネルカウンター: 16

次いで大天狗(だいてんぐ)トンネル(L=639m)。1996(平成8)年に開通したトンネルの中では最も短い。

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トンネルカウンター: 17

ほとんど間髪入れずに西の河原(さいのかわら)トンネル(L=1,834m)に入る。1996(平成8)年に開通したトンネルの中では最も長く、「西の河原」と呼ばれる一帯を突き抜けていく。

西の河原は読みの通り「賽の河原」である。先端にはジュウボウ岬があり、難破船の残骸も残っているなど船乗りにとってはまさに地獄だったようだ。

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ちなみに、トンネル内にもキロポストは設置されている。R229の積丹半島区間を管理する小樽道路事務所および岩内道路事務所では左右の内壁にそれぞれ1枚ずつ貼り付けるスタイルとなっている。

なお、キロポストが設置されているのはおおむね1990年代後半に存在したトンネルのみであり、近年に整備された新しいトンネルには設置されていない。

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西の河原トンネルを振り返る。地形の険しさも少々落ち着きを見せてくる。なお、積丹トンネルを抜けて最初に入る神恵内村の地区は珊内(さんない)村である。

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舗装の質が若干特殊なような気がする。路側帯は普通のアスファルトなのだが…

(2024/7/28追記)
道路台帳の実延長調書によれば、積丹トンネルから窓岩トンネルにかけての区間は明かり区間を含めてコンクリート舗装となっている。

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トンネルカウンター: 18

窓岩トンネル(L=565m)を通る。入口は覆道になっている。なお、このあたりで進路が南に変わっている。

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川白覆道の手前で余市から60kmとなる。

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川白の集落を通過する。ここは半島先端部の道路が開通する前から集落があった場所だが、やはり国道昇格前までは道路の整備状況が悪かったので、かなり不便だったであろう。

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トンネルカウンター: 19

川白(かわしら)トンネル(L=2,106m)に入る。旧トンネルよりも内陸側を迂回している。

※マウスオーバー/赤枠内タップで旧トンネル方向の写真を表示します。

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ここまでのトンネルはすべて歩道が整備されていたが、この川白トンネルにはまともな歩道が整備されていない。開通が2000年代であるものの、この近辺に歩行者や自転車はほとんどいないためだろうか。非常通路としての狭い歩道があるだけなので走行時には十分な注意が必要だ。

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珊内橋を渡った後に、異常気象時通行規制区間へ突入する。規制区間は大森地区まで続く。

以前は他にも古平~積丹、神威岬付近の2か所に通行規制区間が存在したが、道路改良(事業名「積丹防災」)により解消されたようだ。

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トンネルカウンター: 20

マッカトンネル(L=359.5m)を通る。

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トンネルを出るとそのままマッカ覆道に繋がっている。

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トンネルカウンター: 21

次にキナウシトンネル(L=1,008m)を通る。道の駅まで4kmの予告標識があるが、2km前の標識はトンネル内となってしまうために設置できなかったのだろう。

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キナウシトンネルを振り返る。現道の左隣にはコンクリートで閉塞された先代のトンネルが、街灯が被って見づらいのだが現道の上方には旧々道のトンネルまで見えている。旧々道は未舗装の狭路だが、後述する災害によりこの付近の国道が通行止めとなった時に迂回路として検討されたことがあるらしい(結果的には不採用)。

現道のトンネルは2003(平成15)年の開通だが、旧道のトンネルは1985(昭和60)年の開通であり、供用されていた期間は20年にも満たなかった。なお、旧々道のトンネルは1961(昭和36)年の開通で、道道神恵内入舸古平線の時代から国道昇格後数年まで使用された。

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トンネルカウンター: 22

続いて、大森トンネル(L=2,509m)を通過する。右の壁の向こうに旧道があるわけではないのだが、封鎖の仕方が凄まじい。キナウシトンネルと大森トンネルの間を流れるキナウシ川を渡ると赤石地区に入る。

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大森トンネルの走行を開始。キロポストは埋め込み式のものまで一緒に貼り付けられている。なおこのトンネル、入洞直後はあまり新しくないように見えるのだが…

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しばらく進むと急に内壁が新しくなり、左カーブ。明らかに怪しい香りがする。

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内壁が切り替わるあたりにはこんな銘板が。ウエンチクナイトンネル…???トンネル延長がL=873.74mと表記されているのも気になるところである。その後右カーブがあり、しばらくは直線が続く。

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ど、洞内分岐…

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そう、このトンネルには洞内分岐があるのだ。とはいえ右側は封鎖されているので通過する分にはただの直線でしかない。なお、分岐部のスペースを利用して非常駐車帯が設置されている。

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洞内分岐を過ぎると長い直線区間となり、最後に右カーブして出口が見えてくる。見ての通り歩道は広くないので、長さも相まって自転車で走るのはつらいトンネルである。

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大森トンネルをようやく抜け出して振り返る。コンクリートの構造物が左側に見えているが、実は旧道のトンネルを埋めたものである。旧道は今より標高が低いところに坑口があった。

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大森トンネルに洞内分岐ができた原因は、2004(平成16)年に日本全国を襲った台風18号であった。

被災前、この付近は(2→3代目)キナウシ、(初代)ウエンチクナイとようみ、(2代目)大森の4トンネルと大森大橋大森覆道からなるルート(1985(昭和60)年開通)で構成されていた。豊浜トンネルの事故を受けて行われた調査により、ウエンチクナイトンネルの岩内側からとようみトンネルにかけての区間の安全性に問題があると判明。その結果を受けて(2代目)ウエンチクナイトンネルの工事が始まった。

※拡大版はこちら→事故発生前

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しかし、(2代目)ウエンチクナイトンネルの完成を待たずして、2004(平成16)年9月8日に、日本列島を縦断していた台風18号が北海道に接近。一旦は温帯低気圧になる寸前まで気圧が上がったものの、上陸直前に再発達した。

大森大橋付近では気圧の低下と暴風により水位が異常に上昇、地形による反射波が大きな水の塊となって大森大橋を襲い、コンクリート製の橋桁が持ち上げられる形となり、中央付近の橋桁が岸まで流されてしまった。事前通行規制により通行止めとなっていたため人的被害はなかった。

※拡大版はこちら→事故発生時

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大森大橋の通行止めは近隣の住民に大きな影響を及ぼした。平常時なら9.5km程しか離れていない珊内~神恵内間は積丹町・古平町を経由して大きく迂回するしかなく、79km程と8倍以上の距離、しかも峠越えを含むルートになってしまった。

仮復旧は落橋した箇所を仮橋で繋ぐ方法で行われ、12月10日には3か月ぶりに再開通となった。この際には(2代目)ウエンチクナイトンネルも同時に供用が開始された。

※拡大版はこちら→仮復旧後

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本復旧時には複数の案を比較検討した結果、工期の短さと経済性からトンネル案が採用された。(2代目)ウエンチクナイトンネルを可能な限り活用し、内陸を迂回する新トンネルを掘削する新大森トンネルが計画され、急ピッチで工事が進められた。

工事が完了した新トンネルは(3代目)大森トンネルとして2007(平成19)年3月に開通、ようやく本復旧が完了した。このときに(2代目)ウエンチクナイトンネルの岩内側の一部区間は完成から3年足らずで廃止され、画像108付近の洞内分岐が残されたのである。

※拡大版はこちら→本復旧後

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大森トンネルを抜けてすぐのところで、左手に道の駅オスコイ!かもえないがある。この道の駅も台風18号の被害を受けており長らく閉鎖となっていたが、(3代目)大森トンネル開通後に再建され、2010(平成22)年4月から営業が再開された。

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赤石の集落を通過する。本州の漁村のように道幅が狭くなるわけではないが、カーブが多いので気を遣う区間である。

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少し進むと神恵内地区に入る。この後しばらく写真を撮り忘れていたが、左カーブで進路を東に変えると神恵内村の中心部に入り、役場の前を通過する。

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役場を過ぎたところで久々に信号がある交差点。R229はここを右折する。直進すると村道を介してr998古平神恵内線に接続する。

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神恵内橋で古宇川を渡る。案内標識が見えているが、橋の直後に交差点がある。

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r998との交差点。R229はここを右折する。

古平~神恵内間はr998でトーマル峠を越えると32km程だが、R229で半島を周ると56km程と倍近く遠回りになる。ただし、トーマル峠は通年通行可能な2車線舗装路こそ確保されているが、標高600mを超え急カーブ・急勾配が連続する難所なので、一概にR229経由のルートが劣っているとは言えない。また、ここから先は再び1953(昭和28)年当初から国道だった区間となる。